あたり前の日常が前触れなく一瞬にして壊される時…
自然の猛威に対して言ってみたって仕方ないのはわかっていても、…
「なにしてくれてるんや………」そんな怒りに満ちたやり切れない気持ちになるのです。
−1995年1月17日-阪神淡路大震災が起きたあの日、当時二十歳だった僕は、4000人以上の方が被害を受けた神戸の東灘区−そのど真ん中にいました。夢を抱き、故郷を離れ一人暮らしを始めたばかりのアパートは全壊。周りの家や道路も崩壊。そんな中で奇跡的に助かりました。−そして今回東北で起きた地震によってテレビに映し出された被災地の生々しい映像を見た瞬間、再びあの16年前に連れ戻されました。-
聞いた事もないほどの恐ろしく巨大な音、立ち上がる事も許さない激しい縦揺れ。崩れ落ちた部屋の壁越しに見た、燃え上がる炎…。電気、ガス、水道、全てのライフラインを絶たれ、確かな情報さえもないまま余震と寒さに震えながら避難場所で過ごした時間。。
あのホコリっぽい臭いや、空気感。みんなでラジオの声に全神経を向けながら、先の見えない不安の中で暗闇を見つめながら朝の光を待った幾晩か。自然の力の前でどうする事も出来ず、ただただ絶望感と悲しみと怒りで泣き叫ぶ人達。見てるだけしか出来なかった自分の無力さ。どこか信じられないような、ウソであってほしいような、認めたくない悲しくて悔しい現実。そんな中でも励ましあい、助けあい、沢山のやさしい人達の救援、救済のおかげで今の自分があります。−「今度は自分が何かしたい。」
そんな普段なら気恥ずかしさに負けて言い出せない想いが自分でも驚くほど素直に生まれました。
でも、一人の力は小さくて。自分の小さな家族を守るだけで精一杯です。「何かしたい、自分にも出来ることは何かあるはず。」そう、言葉にしたとき同じ気持ちを周りの誰もが抱いているを知りました。今回、快く参加してくれた方々、協力してくれた多くの人達のおかげでこのイベントは向かえる事が出来きました。同じ想いがたくさん集まれば大きな力になるという事を改めて知りました。本当にありがとうございました-どうか一日でも早く被災地の人達に再びあたり前の幸せが訪れますように。-2011.3.11.14:46-あの日、あの時に起きた悲しい出来事を忘れずに-継続して自分に出来る事を続けていきたいと思います。
                                    西村 忠

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